小学校英語必修化
本年(2011年)から小学校5年生・6年生について、毎週1時間・年間35時間の外国語(英語)活動が必修化となりました。
今日は英語関連の制度変化並びに小学校英語必修化についてご紹介します。
【1】公教育の歩み
日本では長きに渡る議論の末に、2002年より総合学習において国際理解教育の一環として小学校英語が解禁となりました。
同年7月12日「英語が使える日本人の育成のための戦略構想の策定について」という文部科学大臣直轄の懇談会の場において、次の趣旨が明確に打ち出されました。:
「経済・社会等のグローバル化が進展する中、子どもたちが21世紀を生き抜くためには、国際共通語となっている『英語』のコミュニケーション能力を身につけることが必要であり、このことは、子どもたちの将来のためにも、我が国の一層の発展にも非常に重要な課題となっている。」 |
この時点で、文科省は、おそらく将来10年~20年の長期的なスパンで試行錯誤しながら、日本人の「英語によるコミュニケーション能力」の底上げを目指す方針を打ち出したと言えます。
実業界からの強い要請も受け、少なくともお隣の韓国や中国の英語レベルに追いつかなければといった危機感も感じられます。
その後、Super English Language High School構想の推進、2006年度大学入試センター試験におけるリスニングテストの導入など、公教育においても、それなりに活発な取り組みが行われてきました。
2007年度時点で、総合学習において、約97%の小学校が小学3年生から英語活動に取り組んでいるという結果が出ました。
そして、ようやく2008年になり、「2011年度からの小学5年・6年における外国語(英語)学習の必修化」が決まり、2009年度より、移行措置として、小学5年・6年の年間学習時間を増やしながら、2011年度の必修化を迎えました。
また、2013年度からは、高校において、「英語の授業をすべて英語で行う」方針も決まっています。
これ対して、高校現場の英語教師からは不安の声も上がっていますが、現状この方向で進むことになっています。
まとめますと、2011年度時点において、国の英語教育に関する大まかな方向性は次のようになっています。
1.小学校
: 小3から各小学校の自由意思により総合学習で取り組み、小5・小6からは必修化とし、英語に慣れ親しむとと
もに、異文化に触れる。
2.中学校
: 「聞く・話す・読む・書く」をバランスよく学ぶとともに、英語による積極的なコミュニケーション活動の推進を図る。
3.高校
: 「英語で英語を学ぶ」環境を整備し、英語で自分の意思を伝えたり、最終的には英語で討論 (Debate) ができ
るようにし、日本人の英語によるコミュニケーション能力を少しでも世界標準に近づけるよう努める。
【2】小学校英語必修化(2011年)
2011年度から必修化された小学校における外国語(英語)活動について、新学習指導要領では、その目標を次のように定義しています。:
「外国語を通じて、言語や文化について体験的に理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら、コミュニケーション能力の素地を養う。」 |
この条文は小学校英語の根幹を成しています。
つまり、小学校英語では、「コミュニケーション能力を養う」ことを目標にはしていません。
あくまで「素地を養う」としています。
補足説明をしますと次のようになります。:
1)小学校段階における外国語(英語)は、あくまでも言語や文化を体験的に理解するための手段として位置づけており、中学校段階の英語教育の前倒しになってはならない。2)英語の単語や表現といった知識の習得に焦点を当てた活動になってはならない。3)外国語(英語)活動を通して、コミュニケーションのために英語を使い、外国の言語や文化の存在を体感したり、積極的に外国語でコミュニケーションを図ろうとする態度を育成することにより、コミュニケーション能力の「素地」を築く。 |
ここでコミュニケーション能力の「素地」についてさらに言及しますと、次のようになります。:
1)そもそも、新学習指導要領では、「学力」を知識量や習得度だけで測るものとせず、「物事に対する興味・関心」を持つことも立派な「学力」としています。つまり、仮に英語の知識が十分でなくても、外国の人たちと積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を持ち合わせている点や、異言語や異文化に興味、関心を持っている点を立派な「学力」として評価しようとしています。幼少期の興味・関心が将来の学習意欲につながると考えます。2)英語でコミュニケーションを図るために、小学校段階では、英語の知識量よりも次のような素地(社会言語能力)を養う点が重要だと考えます。:・相手の目を見てにこやかに話ができる。・きちんとあいさつができる。・相手の話を聞くことができる。・自分の考えや意思を上手に相手に伝えることができる。・謝ったり、お礼を言うことができる。・集団活動に馴染むことができる。 |
そして最後に、小学校英語活動を通して、教師が英語で言ったことが「わかった!」、自分で英語で言ったことが「通じた!」という経験を積むことにより、英語という外国語でコミュニケーションができたという喜びや達成感を生徒に感じさせられる授業運営を目指すとしています。
【3】「英語ノート」について
文科省は、小5・小6の英語必修化に向け、全国共通のガイドラインとすべく「英語ノート」を作成し、2009年度より全国の小学校に配布しています。
事業仕分けにて、蓮舫さんが、英語ノートの全児童配布を問題視しましたが、全国校長会からの強い要望により、2012年度までは全児童配布が決まっています。その後、電子化されるか、ダウンロード型になるかは、今後の検討課題となっています。
しかしながら、現状、小学校の先生方もこの「英語ノート」については、その使用方法において不安を抱えておられます。
ちなみに「英語ノート」に関する文科省の見解は次のようになっています。:
1)小学校における外国語(英語)活動は、教科ではなく、「領域」である。「教科」には「検定教科書」があり、法的に使用義務が生じる。しかし、「領域」は教科ではないので、「英語ノート」は教科書ではなく、よって法的に使用義務は生じない。2)必修化は小5・小6(各年間35時間)だが、従来小学校では、独自に総合学習の中で英語活動を行ってきた実情がある。それぞれの学校や地域の実態に応じて、「英語ノート」を活用すればよい。「英語ノート」以外の教材・教具を用いることも可能である。 |
結論として、文科省は、「学習指導要領の趣旨を守り、英語ノートも有効活用しながら、各学校の裁量で、各年間35時間の小学校英語活動を行えばよい」としています。
原則的には、英語ノートを全て消化する必要はありません。
以上が、文科省による英語の制度変化、現状、近い将来像です。
おそらく、近い将来(2013年度?)全国の高校で「英語の授業を全て英語で行う」ことはまず現実味のある話ではありません。
高校の先生の立場で言えば、高校で英語の授業を全て英語で行うためには、中学校でそれに耐えうる基礎力並びにコミュニケーション能力が培われていないと無理だという話になります。勿論、全国全ての高校教師が英語で英語を指導できるスキルも有していなければなりません。
なかなかの困難が予想されます。
現実的な話をすれば、アルファベットすら全部書けない高校生もいるわけです。中学1年生程度の英語もわからないまま高校生になっている学生がいます。このようなレベルの高校で英語で英語の授業ができるはずはありませんし、そもそも英語の学習動機を確認する必要があります。
文科省(=国)の限界はここにあります。何もかも国で決めて全国一律にやろうとする考え方に限界があるのです。地方自治推進に対する願望はこうした点にも見られます。
県単位あるいは市町村単位で、権限と財源が移譲されて独自の教育ができるようになれば、少しは変わってきます。どうして国は何もかも自分たちで全てをコントロールしたがるんでしょうね。確かに「特区」をつくっていろいろな実験(取組み)を行ってはいますが、良い事例がすぐに他の自治体に広まるわけではありません。
国の施策に見切りをつけた保護者は、自己責任で我が子を私立に行かせる傾向にあります。
以前のブログにも書きましたが、個人的には、小学校英語を「コミュニケーション能力の素地を養う」などといったあいまいな位置づけにするのではなく、中国や韓国のように国策として国民の英語力を高めるべく「3年生からの小学校英語教科化」の早期実現を切望する立場です。
小学校で英語教育を実施するのであれば、学年的には小学3年生がベストです。
学習姿勢もある程度身についてきている点と、まだまだ子どもですから歌や踊り、単純なゲームといったメニューにもまだ違和感なく取り組める点で小学3年生がベストです。
小5にもなれば、あまりに幼稚なことには取り組みたがりません。習う英語という言語の稚拙さと精神年齢のギャップが大きすぎるのです。
おそらく児童英語に携わる人間はおよそ私と同じ意見かと思います。
文科省全体のコンセンサスがとれないと動けないのではなく、政治主導で何とかならないものかと思います。
国がもっと地方自治体や地域住民を信用し、教育についても各地で独自性を発揮できる時代が来るといいですね。
早期に良い方向へ転換することを祈ります。
投稿日:2011/07/07