マルモのおきて
先日フジテレビ系の「マルモのおきて」という番組が最終回を迎えました。
個人的に阿部サダヲという役者も好きで、子役の2人もかわいいのでずっと見ていました。
ご覧になった方も多いと思います。
この中でマルモ(阿部サダヲ)が、他人の双子と真の家族になるため、毎回ノートに「おきて」を書き、双子(カオルとトモキ)がそれを元気いっぱい復唱します。
最終回で双子が、確か「おきてがあったから本当の家族になれた、楽しかった、幸せだった」みたいなことを言いました。
思わずジーンとしてしまいました。
ここ数回子育てに関わることを書いていますが、今日は「おきて=家庭のルール」について書いてみたいと思います。
幼児期から小学生にかけて、どの家でも子育てに関わる家庭のルールみたいなものを子どもに示すと思います。
小さい子どもは、まだ善悪の価値判断もあいまいで、ときにどうふるまえばいいかわからないことがよくあります。
最初は、親自らが行動で示し、子どもはそれを見てコピーしながら日常生活のさまざまな行動を習得していきます。親は、子どもにどうしたらうまくいくかを言葉でも説明し、子どもができたらほめ、そうした日々の連続によって、子どもは行動規範を身につけていきます。
勿論、家庭だけでなく、幼稚園や保育園、小学校と進む中で、子どもは更に広い社会でさまざまな規範を身につけていきます。
マルモのケース(ドラマ)では、亡くなった親友の子ども(双子)と本当の家族になるために、何か起きるたびにマルモが「おきて」を書いていくわけですが、ここで重要なのは、子ども(双子)も十分に納得できる「おきて」しか書かないということです。
また、その「おきて」は、守ることで、家族の絆が深まり、みんなが幸せになるためのものです。
この番組のすばらしさはここにあります。
ちょうどTVで放映されたこの時期に、子どものいる家庭では、これを有効利用して、「おきて(=家庭のルール)」づくりに取り組んでみられてはどうでしょうか。
もし、子どももいっしょにこの番組をご覧になっていれば、子どもはすんなり受け入れると思います。
ここで、「おきて(=家庭のルール)」づくりには、3つの鉄則があります。
1)公平でわかりやすいこと。
2)肯定的な表現をすること。
3)守れなかったときには常に一貫した対応をすること。
「公平でわかりやすいこと」というのは、親が子どもの意思や意見などを無視して、勝手に決めたり、押し付けたりしないということです。
よく話し合って、子どもも十分に納得できるものでなければいけません。
「肯定的な表現」とは、何も子育てだけではなく、一般の対人関係にも言えることです。
例えば、全く同じ内容でも次の2通りの表現が可能です。
A)ゲームは1日30分はやってもいい。
B)ゲームは1日30分しかやってはいけない。
勿論「おきて」に書くべきは、A)の肯定的表現です。
子どもに限らず、人間は否定的表現もしくは禁止事項に対しては、無意識に拒絶したくなる意識が働きます。
「~してはダメ」というような否定的表現ではなく、「~ならしてもいいよ。」という肯定的表現にすることで、子どもの受容の仕方は大きく変わります。
「守れなかったときに常に一貫した対応をする」という点も大切です。
子どもが「おきて」を守らなくても大したことはないと思うことは絶対にいけません。
子どもが「おきて」を破ったときには、まずは、子どもも納得して作った「おきて」であることを再確認した上で、会話で諭します。
しかし、家族と言えども団体生活をする集団です。家族がお互いに気持ちよく、幸せに過ごすための「おきて」なのですから、親でも子どもでも破ったらそれなりの罰則規定が必要です。
各家庭でお決めいただければいいと思いますが、これも「お小遣いを減らす」といった否定的な罰則ではなく、家族のためになる肯定的な罰則がいいと思います。
それには「お手伝い」がベストです。罰則であれ、子どもが家庭内で「お手伝い」をすれば、家族の役に立ち、無事お手伝いが完了すれば、親は子どもに堂々と「手伝ってくれてありがとう。本当に助かったよ。」とほめることができます。
子どもには元来お手伝いをして親にほめられたいとか、何かの役に立ちたいという気持ちがあります。
最初は罰則だったのに、最後にほめられて終われば、以後おそらく子どもは「おきて」を破らないでしょうし、その内、罰則でなくても家庭内で自発的に「お手伝い」をするようになるでしょう。
勿論、親自身が「おきて」を破ったら、子どもに白状して家庭内で役立つことをしなければいけません。
家庭内での「お手伝い」は「勉強」よりも価値のあることです。
投稿日:2011/07/05