「生きる力」について思う(2)
前回は「人格形成(土台)」の話をしましたが、今日は「生きる力」のひとつとして国が掲げる「英語教育」について、私なりの思いを書いてみたいと思います。
日本では、国が「使える英語教育」を目指し始めて、実に20年の歳月を経て本年(2011年)やっと、小学5年・6年の英語活動が「必修」となりました。
目標は「異文化に触れ、コミュニケーション能力の素地を養う」としています。実に玉虫色のスタートと言えます。
しかし、小学校英語はまだ「教科」ではありません。「道徳」と同じカテゴリー(「領域」)の扱いです。
現在、暫定的に一見教科書っぽい「英語ノート」が配布されていますが、これは検定教科書ではありませんので、厳密に言えば教師に使用義務はありません。事業仕分けで「無駄」と扱われましたので、今後英語ノートがどうなるかは未定です。
将来的には、紙ものではなく、電子媒体を利用することになるかもしれません。
必修化を経て「小学校英語」はいずれ「教科」へと進むのでしょう。(ただし、最低10年はかかるでしょう。)
「教科」になれば、テストも行われ、通知表に評価が載りますし、私立中入試では試験科目に加わるでしょう。
「必修化」の現状では評価はありません。
以上が日本の小学校英語の現状です。
さて、かたや実業界は、日本の公教育に対して、日本人の英会話能力向上を大いに求めています。
今やどの企業も社内で莫大な教育費をかけて社員の語学研修を行う余裕はありません。
採用するならそもそも語学力のある人材ということになります。
従来、トヨタを始め、昇進にTOEICの点数を設定する企業も多く存在しますが、最近では「楽天」や「ユニクロ」など、ある種「ショック療法」のように「社内英語公用語化」を進める企業まで現れています。
現状、英語教師を目指す際の最低基準である「TOEIC 730点」というのが、一般企業でも望まれるラインとなっています。
就職氷河期が続いていますが、現代の大学生にとって、非常に大変なのは、競争相手が日本人だけではないという現状があります。
近年、日本の大学に留学している外国人留学生を採用する日本企業が急増しています。
留学生の多くは非常に高い意志を持って勉強しているだけでなく、母国語・英語・日本語と3か国語を話せるケースが圧倒的に多く、また彼らの母国との有用なパイプ役となり得ます。
こうした日本在住の留学生とも競わなければならない日本人の大学生は非常に大変です。
実は、第2言語として小学校から英語教育に熱心に取り組んでいる国は、もともと「経済小国」でした。
シンガポールが世界の商業都市として機能するために国民の英語力向上は不可欠でした。いまやマレーシア・タイ・カンボジアといった国々も、英語教育の成果とともに世界の工場として外資系企業の誘致をどんどん進め国力を向上させています。
勿論、今や世界第2位の経済大国になった中国や、電化製品、車など様々な分野で世界市場に飛躍的な進出を果たしている韓国も、小学校1年生もしくは3年生から本格的に小学校英語に取り組んでいます。
日本はずっと「経済大国」でしたから、「Money Talks」といった感覚で悠長に構え、英語教育に真剣に取り組んでこなかったのでしょう。
第2言語として小学校から英語教育を行う場合、世界にはある程度標準的な目標があります。
1)12歳(小学6年終了時)
:自分のことや自分の身の回りの事象について、ネイティブから英語で質問されれば、英語で答えることができる。また相手にも同様の質問をすることができる。
※日本の中学3年生終了時の文法知識と、1500~2000語のボキャブラリーの習得が目標。
2)15歳(中学3年終了時)
:自我の芽生えとともに、自分の考えや意思を英語で表現することができる。日常英会話ができる。
3)18歳(高校3年終了時)
:英語でDebate(ディベート・討論)することができる。
私は、以前上海を訪れた際、地元の中国人の家族に夕食会に招待されたことがあります。
2時間余りその家庭の15歳の少年とずっと英語で会話ができ、大いにびっくりしたものです。
今思えば、中国が世界標準を達成しつつあるということです。
ところで、日本の現状ですが、会話力だけで言えば、平均的な日本の大学生は世界標準の12歳にすら達していません。英語の知識はそれ以上を持ち合わせているでしょうが、実際の会話能力(運用能力)はそれを随分下回っているのが現状です。
日本における英語教育は本当に難しいものです。
何故なら、日本では、中国や韓国のように、国策として国民の英語力向上を目指すことができない現状にあるからです。
「日本も世界標準を目指す」と国が決めれば、必然的に公教育の在り方は変わります。しかし、そうそう簡単に事は運びそうにありません。
おそらく、日本の将来の国力を考えれば、世界との関わりを促進させるために、現状よりはるかに多くの日本人が英語を使えるようになる必要があるでしょう。
しかし、日本には、「英語が話せなくても十分幸せに暮らせる道」がたくさんあります。
また、国としては、「科学技術」の方に大きな比重をかけています。「技術立国ニッポン」です。
英語指導者の問題(養成・採用)もあります。日本語擁護論も根強くあります。だから難しいのです。
しかし、技術立国ニッポンを復活、発展させる際には、技術者(理系の人間)は、世界に出ていく機会がますます増え、技術者こそますます英語力が求められます。
科学技術の発展と国民の英語力の向上を同時に目指すのが理想です。
政治と経済がうまくかみ合うようになるといいのですが。
続きは次回にて。
投稿日:2011/04/28