「生きる力」について思う(1)
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さて、今日は「生きる力」について書きたいと思います。
文科省は2002年の「総合学習」開始にあたり、「生きる力の育成」をそのテーマに掲げました。当時、文科省の考える「生きる力」とは、以下の内容を指しています。
1.「自分の力で生きる力」
:戦後の高度経済成長はバブル崩壊とともに終焉し、大企業・銀行・証券会社等の倒産や地方自治体の破綻など、従来では考えられない事態が起きるようになった。また、グローバル化の波とともに「自己責任」という価値観も台頭してきた。「終身雇用・年功序列」といった日本企業の美徳も崩壊し始めた。こうした時代にあっては、「自分の考えで行動し、自分の力で問題解決する能力」の育成が求められるようになった。
2.「他者とともに生きる力」
:日本は2000年以上に渡り「和」という精神文化を守ってきたが、今や「自己中」という言葉が流行するようになり、改めて他者との共同、共生が求められるようになってきた。公教育において改めて「協調性」を育成する必要性が生じた。
3.「世界で生きる力」
:グローバル化(市場原理)が急速に進む中、21世紀を担う人材には、否応なしに「国際理解」「英語」の能力が求められるであろう。日本人の英語能力が将来の国力を左右する可能性があると国が認識し始めた。
※これを受け、2002年度より「総合学習」の中で「英語(外国語)活動」が解禁され、2011年度より、小5・小6については英語活動を「必修」とし、毎週1時間の活動が行われるようになった。
以上が、国の方針です。
国の掲げる「生きる力」についてこれといって異議はありません。どれもその通りだと思います。
しかしながら、私個人的には、公教育の中で国が掲げる「生きる力」を育むアプローチをする以前に、家庭や幼稚園・保育園・小学校において、子どもたちの「人格形成」へのアプローチが不可欠だと思います。人間としての土台づくりと言いますか、根っこと言いますか、そういうところを見直さずして、理想の「生きる力」は育まれないように感じます。
基本的に子どもの「人格形成」は、まずは家庭でなされます。
第1段階は「親の愛情を全身で浴びる経験」です。
専門用語では「愛着(Attachment)」と言いますが、子どもにとって「絶対なる安全の確保」です。
「生命維持に関する危機がない(:生命維持に必要な食事が常に与えられる・安全な住居がある)」、「危険を感じたときに身を守ってくれる存在(:親)がある」、といった「絶対なる安全の確保」があって始めて、子どもは精神的に安定します。
そしてこの精神の安定(安心感)こそが子どもを飛躍的に成長させる原動力となります。
赤ちゃんや子どもにとって、最初、「親」という存在は「絶対なる安全基地」であらねばなりません。
ちなみに、不幸にして、家庭で「絶対なる安全の確保」が保障されない場合でも、二次的な(他人による)「愛着」が有効だということが検証されています。
第2段階は「しつけ」です。
常に厳しくする、口やかましく言うということではありません。普通のことが普通にできるよう、励まし、褒め、気長に何度も子どもに促し続けます。
幼児期から小学低学年では、さしずめ以下のことができるようにします。
・あいさつ(「おはようございます。 / おはよう。」「こんにちは。」「こんばんは。」「さようなら。」「いってきます。」「ただいま。」「おやすみなさい。」)
・返事(「はい」)
・お礼(「ありがとうございます。/ ありがとう。」)
・謝罪(「ごめんなさい。」
・くつをそろえる。
・立腰(りつよう:腰骨を伸ばして正しい姿勢で座ることができるようになる。)
・食作法(「いただきます。」「ごちそうさまでした。」+はしの使い方など)
上記のことは、どなたも当たり前のことだとお感じになると思いますが、これらのことがきちんとできる子どもが実は非常に少なくなってきています。
「小1プロブレム」といって、近年、小学校1年生のクラスで、授業中に歩き回ったり、教室を飛び出したりする児童が急増しており、小1の学級崩壊が全国的に大きな問題になっています。必要最低限のしつけがなされていない児童に対し、「学力」や「生きる力」を育むことは困難を極めます。
子どもは「愛情」と「しつけ」で人格(土台)を形成し、その上にさまざまな「能力」を構築していきます。土台をしっかりさせなければ上には積めません。
続きは次回にて。
投稿日:2011/04/28