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ゆとり教育?

阪神淡路大震災(1995年)の翌年、1996年に出された中教審答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の中で、当時の時代背景を受け以下4点の教育課題が打ち出され、これが後の「ゆとり教育」の骨子になっていきます。

(ちなみに、「ゆとり教育」という言葉は、マスコミが勝手に命名した言葉です。)


1.子どもたちの生活の現状は「ゆとりのない生活」となっており、そのことが社会性の不足や倫理観の問題を生み出している。


2.学校生活をめぐる状況で最も憂慮すべきは「いじめ」や「登校拒否」の問題であり、「いじめ」を苦にしたと考えられる自殺事件が相次いで発生しているため、その防止と改善について全力をあげる必要がある。


3.家庭の現状は変化してきており、若い世代の多くの国民が仕事中心から、家庭や子育てを大切にする生活へと意識が変わってきているが、まだそれに対応した社会システムとなっていない。


4.地域社会の連帯感の希薄化は深刻な状況で、地域社会の教育力は低下する傾向にあり、地域の子どもとのかかわりを全く持っていない国民が増えている。しかし、そうした中でも、子どもの健全な成長のために地域の大人たちが積極的に子どもたちにかかわっていくべきという保護者が89.3%に上り、意識の上では地域社会が子どもたちの成長にかかわっていくべきであると考えている。


こうした教育課題を踏まえ、いわゆる「ゆとり教育」の方向性が次のように打ち出されました。(長いので重要箇所のみ抜粋します。)

:「・・・これからの子どもたちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を「生きる力」と称することとし、これらをバランスよく育んでいくことが重要である。」

この「子どもに「生きる力」と「ゆとり」を」という答申をまとめた際の部会の座長は、阪神淡路大震災の際の復興にもたいへん尽力され、後(2002年)に、文化庁長官に就任した河合隼雄氏でした。

そしてこの答申を受けて2002年から「総合学習」がスタートしました。

これが、15年前、奇しくも阪神淡路大震災に見舞われた直後の教育課題でした。


バブル経済がはじけ、阪神淡路大震災という未曽有の大災害を経験した日本人が当時目にしたものは対照的な二つの現象でした。

一方は、なかなか動けなかった政府並びに行政機関であり、他方は、人間関係が希薄になったと思われていた神戸という大都市においても、利他および共助の精神で全力で助け合う市民と、全国から駆け付けたボランティアの姿でした。

阪神淡路大震災からの復興の原動力は、間違いなく行政やお金ではなく、眠っていた日本人の心だったと言えます。

そして、これを機にボランティアが結集して団体として活動する「NPO」という組織が急速に広がりをみせることになります。


そして本年、我々は東日本大震災に見舞われましたが、阪神淡路大震災のとき以上に、規律をもった市民の助け合い、全国のNPOやボランティアの支援活動が世界に配信され、日本人の精神文化が世界から畏敬の念をもって称賛されました。


「ゆとり教育」とマスコミから低俗な命名を受け、またマスコミから、基礎学力の低下は「ゆとり教育のせい」と揶揄され、2008年から授業時間及び学習内容を増やす方向転換を「脱ゆとり」と報道されて今日に至ります。

首相もコロコロ変わる日本ですから、マスコミにいろいろたたかれれば、世論と勘違いして文科省もコロっと方向転換をすると、国民は短絡的に思ってしまいます。

マスコミは本当に恐ろしいものです。


文科省は、ただの一度も自ら「ゆとり教育」と名乗ったこともなければ、「脱ゆとり」「総合学習の否定」という意識も持っていません。マスコミが勝手にはやし立てているにすぎません。

前述した15年前の時代背景、教育課題をよくご覧いただければ、現代も全く同じ状況、あるいは更に悪化している状況であることに気づききます。

すなわち、マスコミから「ゆとり教育」と批判され、「脱ゆとり」とはやし立てられる結果となった1996年の答申の精神は、今でも決して色あせてなどいないし、今こそ改めてその精神を見直す必要があるくらいです。

名前はともかく、世間で言われている「ゆとり教育」の根源的な方向性は決して間違っていないと思います。

「ゆとり教育」とは子どもたちを甘やかす教育ではありません。


残念ながら、現在、子どもたちの生きる力を育むことを目標とする「総合学習」の時間は削られ、教科学習の時間が増えました。

批判をする方が簡単ですし、ウケルので、マスコミは批判を繰り返します。批判はしても、まず建設的な意見を言いません。マスコミに操られるのは実に愚かなことです。

ここで、マスコミが大々的には取り上げなかった「総合学習の成果」をひとつご紹介します。


今回の東日本大震災で津波の甚大な被害を受けた、釜石市の鵜住居(うのすまい)地区にある「奇跡の学校」と称された「釜石東中学校」です。


<河北新聞より抜粋>


死者・行方不明者が約1300人に上る釜石市。大槌湾に面した鵜住居地区は津波で壊滅状態となったが、鵜住居小と釜石東中にいた児童、生徒計約570人は全員無事だった。中学生や小学校の上級生が小さな子どもたちの手を引いて逃げるなど、両校の迅速な避難劇は「奇跡」とも言われている。3月31日の朝刊は、前日の釜石東中の卒業式で平野憲校長(53)が「君たちは誇りだ」との言葉を贈ったと伝えている。


あと4分、5時間目の授業が終わるのはもうすぐだった。激震に見舞われた午後2時46分。鵜住居小には1~6年生の児童約360人がいた。「恐怖のあまり、泣いている子もいた」。当時6年生のクラスを受け持っていた横沢大教諭(28)が振り返る。
指示はすぐ飛んだ。3~6年生は最上階の3階へ集まり、1、2年生は校庭へ出た。真壁信義副校長(49)は「申し合わせ通りの動き」と話す。
尋常ではない揺れ。外を見れば、隣接する釜石東中の生徒たちがバラバラになって南へ走っている。教師たちは即座に「逃げろ」と号令を掛けた。時計は午後3時を指す直前だった。
 

停電で放送機器は使えない。約20人の教職員は声を張り上げ続けた。「走るんだ!」。目指したのは南へ約600メートル離れた民間の介護施設「ございしょの里」。泣きじゃくる1、2年生の手を上級生が引いた。

釜石東中の生徒約210人ら、介護施設に集まった両校の児童生徒は約570人。そこは指定避難所でもあった。施設の入所者や職員、近所の住民も加えると700人はいた。突然、中学校の教員が叫んだ。「裏の山林が崩れそうだ」
子どもたちはまた、走った。目指したのは南に約400メートルの「やまざき機能訓練デイサービスセンター」。中学生は小学生と手をつないだ。大人も逃げた。
ございしょの里に小学1年と4年の娘2人を迎えに来たパート及川真美子さん(32)は「迎えに来た親たちも、一緒に逃げた」と言う。

午後3時20分ごろ。学校の方角を見ると、十数メートルの高さの津波が両校の校舎を丸ごとのみ、介護施設も襲い、迫ってきた。「逃げないと危ない」。誰彼となく悲鳴のような声が上がった。
児童の一部はデイサービスセンター東側の山林を駆け上がり、残りはさらに南へ、走った。

津波はデイサービスセンターの手前で止まった。想定浸水区域から1キロ先にまで達していた。
鵜住居はすり鉢の底にあるような街だ。両校の北には大槌湾に注ぐ鵜住居川河口があり、南は山林が迫る。西はわずかに平地があり、高い建物などない。
同地区では7割近い建物、市の被災全体の4割に上る約1800戸が被災したが、小中学校では一人の犠牲者も出さなかった。

釜石東中の村上洋子副校長(53)は「日ごろの防災教育のおかげ」と語る。4年前から群馬大などと協力し、津波防災教育を授業に導入した。2年前からは年に1度、鵜住居小と合同訓練も実施。「小学生を先導する」「まず高台に逃げる」との教えを徹底してきた。
三陸地方には、津波が来たら取る物も取らずてんでばらばらに逃げるという「てんでんこ」の言い伝えがある。
「『てんでんこ』が大事だって何度も教わっていた。思いっきり走った」と、3年生の佐野凌太君(15)は言う。
当日、欠席などしていた両校の3人は津波の犠牲になった。「奇跡」の裏には悲しみもあった。                      

(2011年5月19日・河北新聞)



こうして多くの人命を救った、群馬大学大学院の片田敏孝教授(災害社会工学)の指導のもと実施された釜石市の「防災訓練」が、実は「総合学習」の時間内での学習活動だったことは今でもほとんど知られていません。

釜石市では、避難訓練だけでなく、社会科の授業では、避難場所や経路を確認したり、算数の授業では、津波の速度から到達時間を計算するなど、各教科の授業にも防災の視点を取り入れて「総合学習」として取り組んでいたのです。

総合学習がまさしく「生きる力」を育んだのです。

従来の教科学習中心の学校教育では、こうした独自の学習活動はできません。総合学習だからこそ可能なのです。小中学校にいた生徒が一人も命を落とさなかったことが、総合学習の成果であると現地でははっきりと認識され、評価されているのです。


「ゆとり教育」が悪いわけでもなく、まして「総合学習」が悪いわけでもありません。

マスコミが勝手に短絡的に世論をあおっているにすぎません。

15年以上も前に、知識教育の限界はすでに多くの国民が知ったはずです。

これからの日本の教育には、知識教育一辺倒ではなく、子どもたち自らか考え、行動し、自己解決できる能力の育成が不可欠であるとの認識から生まれた「総合学習」は正しい選択と言えます。

いろいろな学校で独自にいろいろな取り組みがなされ、多くの成果が出ています。

ただし、こうしたことは、マスコミが報道しないために、多くの国民はそれを知りません。


私は、全国の小中学校での「総合学習」の更なる取組み、情報の共有、そして更なる発展に期待します。


「教科内容及び学習時間の削減」⇒「ゆとりが生まれ、子どもたちが学ばなくなる」⇒「基礎学力の低下」⇒「ゆとり教育の否定」⇒「脱ゆとりへ」

これがマスコミのいい加減で、短絡的で、ウケ狙いの身勝手な論理です。

こんな論理に振り回されてはいけません。


「分数のできない大学生」が実際にいます。

しかし、これは全て学校の責任なのでしょうか。ほとんどは本人の問題でしょう。

現代は高度経済成長のころの日本とは全く違います。

人々の価値観は多様化し、社会の構造も大きく変わりました。

「日本全国みな中流」といった社会は遠い昔の話です。

格差は拡大し、貧困率も高まる一方です(現在16%)。

家庭教育力が低下し、地域の人間関係の希薄化とともに地域教育力も低下しているのは事実でしょう。

本当に文科省の施策が根本的に間違っていて基礎学力が低下しているのでしょうか?

私はそうではないと思っています。


また、そもそも「ゆとり教育」になって本当に学力が深刻になるほど低下しているのかも疑問です。

詳細は避けますが、IEAのTIMMS調査を分析すれば、次のことは明確と言われています。

1)昭和40年ころと比較すれば、現在の方が理科・国語・算数・数学の学力は上がっている。

2)中学理科については、「ゆとり世代」の方がその前より学力が上がっている。

 (中学理科の結果:平成15年:6位/46か国⇒平成19年:3位/48か国)


また産経新聞の日本の教育についての記事によると、日本の教育は国際的に見れば、案外「よくやっている国」と報じられています。

参考になるのが、経済協力開発機構(OECD)の統計集「図表でみる教育」です。

2011(平成23)年版の「日本に関する要約」では、日本の15歳の読解力は高水準にあり、かつ低成績層の占める割合が低い、日本では不利な社会・経済的背景にも関わらず好成績を上げる生徒の割合が比較的大きい……と指摘されています。

つまり日本は、全体として学力の底上げに成功している国だというわけです。

こうした分析は、OECDが実施している「生徒の学習到達度調査」(PISA)の結果を踏まえてのこと。日本でPISAといえば、国別ランキングの上下に注目した報道がされがちですが、国際的に見れば、2000(平成12)年の調査開始以来、4回にわたって「国際的順位のトップか、その近くに居続けている」(米国向けOECD報告書)国だという評価が定着しているといいます。



政権もそうですが、特に教育問題に関しては、いい加減なマスコミの論理に振り回されるのではなく、じっくり時間をかけ、もっと本質的な熟議を繰り返し、時間をかけて成果を検証する姿勢が、国にも国民にも必要ではないかと思います。


もうひとつ、国民の側も、「学力は全て学校で身につけるもの・学校が子どもの成長の全ての責任を負うべきところ」などといった、間違った過度の期待を学校に求めないこともまた重要かと思います。

何かが起こればすぐに「学校のせいにする」風潮には危惧を覚えます。

家庭ならではできること、学校ならではできること、地域ならではできることがあるはずです。

子どもは学校以外でも多くのものを学べなければ健全とは言えません。


投稿日:2011年09月01日