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外国人講師に習えば「異文化が理解できる」?

これまで、3回に渡って、巷の英会話教室の宣伝文句でもよく目にする「外国人講師に習えば~」について書きましたが、今回はその最後、『外国人講師に習えば「異文化が理解できる」か?』について書きたいと思います。


これに関しては、即答で「No !」です。

私たちは、子どもたちに、基本的に週1回お通いいただく英語教室を運営しています。

英語教室内という環境においては、「異文化理解」あるいは「国際理解」といった、複雑で、奥の深い、壮大なテーマに対しては無力であるとはっきり申し上げています。


勿論、幼児・小学生・中高生の間に、英語レッスンやイベントなどを通して、習慣的にいろいろな外国人(講師)と接する経験は、子どもたちにとっては、外国人との間に存在するいろいろな相違点や共通点を肌で体験する貴重なものです。

しかしながら、この程度のことで「異文化」が理解できるわけではありません。

私たちは、子どもたちに少なくとも外国人に対して違和感を持たない資質が育つだけで、まずは十分だと思っています。


私は、過去20年の間に、仕事柄約350名の外国人講師を採用してきましたし、海外においてもいろいろな外国人と接しました。彼らに対して程度の差はあれ、それなりに深く関わってきましたが、正直いまだに「異文化」について、誌面で簡単にご紹介できるような術は持ち合わせていません。


何となく「お国柄」を感じたり、彼らの思考は、日本の精神文化に基づく我々の思考とはずいぶん違うなあと感じることはあります。

しかし、その都度、互いにきちんと会話をすれば、それなりに解決策や合意点を見出すことができますし、日常生活や仕事上、それ程大きな差異や支障を感じることはありません。


本心を言えば、私は「異文化」という言葉を軽々しく使いたくありません。

本当に「文化の違い」を知るためには、まずもって「自国(日本)の文化」を知ることから始めなければなりません。

また、「文化」は、その国の「歴史」「宗教」を知らなければ真に理解することは不可能です。

特にやっかいなのは「宗教」です。概して「文化」は「宗教(:精神文化の拠り所)」を基盤として成立していると言っても過言ではありません。


外国人同士の間でも、常識として、触れてはならない話題(:タブー)があります。

その筆頭は「宗教(:特に一神教)」です。

「宗教の違い」はときとして戦争や殺戮の大きな引き金になります。


日本人は「無宗教(No Religion)」と感じる人が多いようですが、本人に明確な自覚がないだけで、実は決して「無宗教」ではありません。

周囲を海に囲まれた特殊な(恵まれた)立国条件から、他国に征服されることなく、長い歴史の中で、我々日本人は日本特有の「精神文化」を構築してきました。


弥生時代にはすでに存在し、聖徳太子が明文化した「和」の精神文化、「自然崇拝(アニミズム)」から生まれた神々の存在(後の「神道」)、そして大陸から伝わった「仏教」、これらが渾然一体となって日本人の「精神文化」が熟成されてきました。

この「精神文化」は「日本教」と言えなくもありません。一神教のようにシンプルではないだけのことです。

普段我々が気づいていないだけで、「日本教」は我々の日常生活の中に脈々と受け継がれています。(長くなるので事例は割愛します。)


国際社会において、よく「No Religion」と気軽に答える日本人をとらえて、「宗教心がないということは、精神や思考に基軸がないということであり、信頼するに値しない」と酷評されることがあります。

繰り返しますが、日本人は「無宗教(No Religion)」ではありません。

単純に「OOO教」と一言で表現しにくいだけで、いろいろな精神文化が融合され、熟成されて、単純には表現できない精神文化(宗教観)を有しているのです。

現実的には宗教について尋ねられることはまずないかと思いますが、万が一尋ねられたときには、日本人の複雑であいまいな宗教観を外国人に理解してもらうのはなかなか困難なので、死んだ後おそらくお寺のお墓に入る予定であれば、とりあえず「仏教徒:Buddhist」と答えておけばいいでしょう。

これで、少なくとも「信頼できない人間」とは思われなくて済みます。


日本では、クリスマスを祝い、教会で結婚し(:キリスト教)、神社に初詣でに出かけ(:神道)、死ねばお寺で葬式をし、お寺の墓に入る(:仏教)など、実にいろいろな現象が見られます。

私は、日本人の精神文化は「節操がない」わけではなく、「寛容(トレランス)」であり、今後世界が注目していくであろう、誇るべきものではないかと思っています。

そろそろ戦後の自虐史観や欧米への傾倒から脱し、日本人はもう一度誇り(プライド)を取り戻すべきではないでしょうか。

日本再生の鍵はこのあたりにあるように感じます。


実際、「9.11」以降、アメリカ国内でも、「キリスト教」対「イスラム教」という対立軸では永久に解決策が見出せないと確信し、「仏教」や「日本を含むアジアの思想」に傾倒するアメリカ人が急増していると聞きます。

オーシャンにも敬虔な「仏教徒」というアメリカ人講師がいます。


「一神教に基づく精神文化」と我々「日本人の精神文化」の間には、確かに根本的な部分で大きな違いがあります。

互いに2000年以上の歳月をかけて熟成させてきた精神文化ですから、この溝を易々と埋めることはできないでしょう。

しかし、根本で大きな違いがあったとしても、互いの違いを否定し合うのではなく、違いをわきまえた上で、妥協点や合意点を見出すべく、誠実に会話を尽くし、互いに歩みよる努力をすることが重要だと思うのです。

そして、この過程こそが本当の「異文化理解」ではないでしょうか。


「イースター」「ハロウィーン」「クリスマス」などのイベントを楽しく開催するのは別に構いませんが、その程度のことで「異文化理解」と言うのはどうかと思います。

正直、たかが英語教室で「異文化理解」「国際理解」を唱えているのは、「英語教育そのものに自信がない」ため、それをカモフラージュするために、消費者に耳触りの良いフレーズを使っているとしか思えません。


「小学校英語必修化」の目的にも「異文化理解の促進」が掲げられていますが、英語ノートにおけるその具体的な話題が、例えば「世界のこんにちは」だったりします。

日本の「国際化」への道はまだまだ遠い気がします。


3回に渡って長々と私たちの思いを書かせていただきました。

私たちオーシャンのスタンスは以下の通りです。


1)外国人講師から英語を習えば「自然に身につく」? ⇒「No !」


:「学習の成果」として身につきます。「適切な指導+本人の努力+継続(時間)」があれば、日本でも「世界標準」の英語力を目指すことができます。


2)外国人講師から英語を習えば「生きた英語が身につく」? ⇒「?」


:「生きた英語」という表現はそもそも意味不明。


3)外国人講師に習えば「正しい発音が身につく」⇒「?」


:「正しい発音」という表現は英語には不適切。幼少期から外国人講師に習えば「英語らしい発音」は身につきやすい。ただし、発音には「個人差」があります。


4)外国人講師に習えば「異文化が理解できる」⇒「No !」。


:「異文化理解」というテーマは壮大過ぎて英語教室では関与できません。



私たちは、「できることは、できる」「できないことは、できない」と正直に申し上げますが、週1回という限られた時間でも、独自のカリキュラムと外国人講師の指導力をもって、効率よく最大限に子どもたちの英語力を引き上げ、子どもたちに「もっと英語が話せるようになりたい」という気持ちが芽生えるよう、今後も努力していきたいと思っています。


次回は「外国人講師から英語を習う意義」について書きたいと思います。

投稿日:2011年04月30日